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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)10379号 判決 1976年7月12日

原告

マリオ・サクリパンテ

原告

横山奈保子・サクリパンテ

右両名訴訟代理人

松枝迪夫

被告

財団法人聖路加国際病院

右代表者理事

福島慎太郎

右訴訟代理人

大政満

外二名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告ら

1  被告は原告らに対し、それぞれ金二、五〇〇万円及びこれに対する昭和四六年一二月四日から支払済に至るまで年五分の金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二、被告

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一、請求原因

(一)  原告横山奈保子・サクリパンテ(以下、原告奈保子という)は昭和四六年六月二八日被告病院において男児を死産したが、その経過の詳細は次のとおりである。原告奈保子は昭和四五年一一月妊娠による診療を受けるため被告病院を訪れ、その後昭和四六年五月ころまでは一か月ごとに、同月後半からは二週間ごとに同病院に通院した。しかし出産予定日である同年六月二日を二〇日以上過ぎても出産の徴候が顕われないので、同原告は主治医である新野博子医師の勤めにより、同月二五日人工陣痛促進法を試みるため被告病院に入院し、同日及び二六日の二回にわたりアトニン(陣痛促進剤)の点滴等を受けたが、本格的陣痛はおこらなかつた。その後二六日午後六時ころ伊藤博之医師により人工破膜の処置がなされ、一時間おきにブスコパン(子宮をやわらげる薬剤)を数本注射され、予備室に移されたが、やはり本格的陣痛には至らなかつた。翌二七日は何らの措置もとられないまま、病院で休まされた。そして二八日朝再び予備室に移され、陣痛促進剤の点滴を受けたところ、同日午後三時ころ陣痛がおこり、三時一四分ころ分娩室に移された。分娩には岩崎統医師と大橋正典医師が立会い、午後三時四五分ころ吸引器を用いて男性の胎児(体重四、一〇〇グラム)が娩出された。しかし、右胎児はすでに仮死状態に陥つており、人工呼吸がなされたが、遂に蘇生しなかつた。なお分娩直後、岩崎医師が胎児の心音について看護婦に尋ねたところ、看護婦が「七分前まで聞いていましたが、最後の時心音が弱つていました」と答えていたことが、特に原告奈保子の記憶に残つている。

(二)  右胎児の死亡は次に述べるとおり、被告病院の医師及びその補助者の過失によつて生じたものである。

1 人工破膜には臍帯下垂・脱出の危険が伴うので、右処置は、子宮口が三指以上開大し(全開が望ましい)、かつ、児頭が骨盤に陥入している場合(スライシヨン−1ないし0)のみに実施されるべきものである。しかも右処置は陣痛促進剤の効果を上げるためになされるものであるから、陣痛促進剤を投与しても効果がないときは、これを実施すべきではない。ところが被告病院の伊藤医師は、原告奈保子の子宮口が二指くらいしか開いておらず、児頭の陥入も不十分であり(スライシヨン−2)、しかも前日及び前々日になされたアトニン点滴の効果が認められないのに、軽卒にも人工破膜の処置をなし、臍帯下垂を生じさせた。

2 原告奈保子は陣痛が微弱であつたうえ(これはホルモンの異常によるものであることが後に判明した)、連日の注射、投薬、嘔吐による衰弱が著しく、しかも出産予定日を二十数日過ぎての出産であるため、胎児が巨大化していることが予測され、また人工破膜後一四時間以上経過しても出産が至らないことから、児頭と骨盤との不均衡が推定されるなど、到底自然分娩には堪えられない状態であつた。そのうえ前記の不適切な人工破膜によつて臍帯下垂が生じ、分娩の七分前には胎児の心音が弱つて、胎児死亡の危険が迫つていたのであるから、同原告の出産に際しては、予め帝王切開の方法を選ぶか、あるいは遅くとも胎児の心音が弱つてきた分娩の七分前に自然分娩から帝王切開による分娩に切換えるべきであつた。しかるに同原告の分娩に立会つた岩崎医師と大橋医師は、これらの諸事情を無視して、強引に自然分娩を進め、前記1の過失によつて下垂を生じた臍帯を児頭と産道との間で圧迫し、胎児を窒息死させるに至つた。

3 新野医師は原告奈保子の主治医として、長期間にわたつて同原告を診察してきたのであるから、分娩に自ら立会うか、それが不可能なときは、右診察による所見を分娩の担当医に十分伝え、随時帝王切開に切換えるよう指示すべき注意義務があるのに、これを怠り、分娩担当医の過失を誘発させた。

4 本件胎児は生まれた時仮死状態にあつたが、なお適切な措置を施せば蘇生させることが可能であつた。ところが、被告病院の医師は右胎児の出産後、漫然と用手法による人工呼吸を行つたのみであつたため、遂に胎児を蘇生させることができなかつた。

5 被告病院には分娩担当の看護婦が二名しかおらず、分娩の介助と予備室の産婦の看護は右二名で行われており、しかも原告奈保子の出産の前後に、同原告の他に三人も出産する者がいたため、同原告は予備室で看護婦の立会のないまま長時間放置された。このような看護体制の不備も胎児死亡の一因となつたものといえる。

(三)  原告らは被告の右不法行為によつて、次のとおり損害を被つた。

1 原告らの慰藉料

原告マリオ・サクリパンテと原告奈保子は昭和四五年三月一七日結婚したものであり、死亡した胎児は結婚後初めての子であつた。原告らは右胎児の死亡によつて多大な精神的苦痛を被つたが、これを金銭をもつて慰藉するとすれば、各自金一、二五〇万円が相当である。

2 胎児の逸失利益

民法七二一条によれば「胎児は損害賠償の請求権に付ては既に生まれたものと看做す」と規定されている。従つて胎児が出産前に死亡した場合には、胎児の相続人がその損害賠償請求権を承継することができる。ことに本件胎児は、分娩直後の蘇生術が適切でなかつたために死亡したということもできるので、事案の公平を期するため、本件については生きて出産した場合と同じ権利保護が与えられるべきである。

ところで右胎児の父親は米国人であるから、右胎児はそのまま成長すれば、少くとも平均的米国人と同程度の所得を得ることができると考えられる。そこで大学を卒業した米国人の平均年間収益を一万ドルと見積り、大学卒業時である二二歳から六二歳まで四〇年間稼働しうるものと考え、生活費としてその四割を控除すると、右胎児の得べかりし利益の総額は二四万ドルとなる(1万ドル×40×0.6)。これからホフマン方式によつて中間利息を控除して、右得べかりし利益の現価額を求めると、八万ドルとなる。原告らは右胎児の両親として、右得べかりし利益の二分の一宛相続したものであるから、これを邦貨に換算した価額のうち金一、二五〇万円宛請求する。

3 仮りに右米国人の平均収益に基づく逸失利益の算定方法が認められないとしても、わが国における昭和四八年度の男子〇歳児の逸失利益は金六六五万円であるから、現時点での右逸失利益は金一、〇〇〇万円を下らない。従つて原告らは右逸失利益の相続分として、金五〇〇万円宛請求する。なおこの場合、原告らは右逸失利益の相続分(五〇〇万円)と前記米国人の平均利益に基づく逸失利益の相続分(一、二五〇万円)との差額分(七五〇万円)だけ、各自の慰藉料を増額して請求する。

(四)  よつて、原告らは被告に対し、不法行為による損害の賠償として、各自金二、五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四六年一二月四日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)のうち、原告奈保子が妊娠による診察を受けるため、昭和四五年一一月被告病院に来院したこと、最終月経日から計算した同原告の出産予定日が昭和四六年六月二日であつたこと、同原告が陣痛を誘発するため同月二五日被告病院に入院したこと、伊藤医師が同月二六日午後六時ころ人工破膜の処置をしたこと、同原告が同月二八日午後三時四五分男子を死産したことは認めるが、その余の事実は争う。

(二)1  同(二)の事実は否認する。人工破膜とは、外子宮口より鉗子等を挿入し、卵膜下端部表面を擦過して破膜し、前羊水を流出させ、児頭を子宮下部に密着させることによつて神経を刺激し、陣痛を誘発させる処置であり、安全な陣痛誘発法として一般に普及している方法である。右処置がなされるための要件としては、子宮口が二指以上開大していること及び児頭が骨盤内に陥入していることが必要であるが、伊藤医師はこれを確認したうえ人工破膜をなしたものであり、その処置には何ら責められるべき点はない。

2  同(二)2の事実は否認する。帝王切開を一度実施すると、その半数以上が次の分娩時に再度の帝王切開を要するほか、時には腸管癒着などの後遺症が残るものであるから、帝王切開は緊急やむをえないとき、すなわち産道の異常(児頭と骨盤との不均衡等)、子宮疾患(子宮癌、筋腫の合併等)、全身疾患(高度の妊娠中毒症その他内科的症患で自然分娩が不適当と考えられるもの)、胎児の位置異状、切迫仮死前置胎盤、常位胎盤早期剥離等の症状がある場合のみなされるべきものである。ところが本件においては、右に該当する症状は何もなく、娩出直前まで産婦及び胎児に何ら異常が認められなかつたのであるから、帝王切開の方法がとられなかつたのは当然のことである。

3  同(二)3の事実は否認する。被告病院の産婦人科は八人の医師で構成されており、医長の監督のもとに各患者の担当医を定め、相互に補助し合つて治療行為を行つている。原告奈保子を担当したのは新野医師であるが、他の医師もカルテ、新野医師の説明等により、同原告の状態を熟知していたものであり、新野医師には原告らの主張のような過失はない。

4  同(二)4の事実は否認する。被告病院では本件胎児を蘇生させるための処置として、心臓マツサージ、人工呼吸、気管内挿管、ノルアドレナリンの心臓注入等をなし、蘇生のための万策を尽している。

5  同(二)5の事実は否認する。

(三)  同(三)の事実は急う。

第三  証拠<省略>

理由

一原告奈保子が妊娠による診察を受けるため、昭和四五年一一月被告病院を訪れたこと、同原告の出産予定日が昭和四六年六月二日であつたこと、同原告が陣痛を誘発するため同月二五日被告病院に入院したこと、伊藤医師が同月二六日午後六時ころ人工破膜の処置をしたこと、同原告が同月二八日午後三時四五分男児を死産したことは当事者間に争いがない。

二そこで、右出産前後の経過及び胎児死亡の原因について検討する。

前記争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告奈保子は昭和四五年一〇月二一日妊娠による診察を受けるため虎の門病院を訪れ、同病院において出産予定日は昭和四六年六月二日であるとの診断を受けた。その後同原告は、昭和四五年一一月二八日被告病院に転医し、昭和四六年四月までほぼ毎月一回、同年五月から同年六月上旬までほぼ一週間に一回、同月中旬から後記入院時までほぼ三日に一回通院した。

2  被告病院産婦人科では一〇名の医師が医長の監督のもとに共同して診察にあたつているが、一〇年前後の経験を積んだ医師が各患者に担当医として付く体制がとられており、原告奈保子に対しては新野博子医師が担当医として付くことになつた。

3  新野医師が昭和四五年一一月二八日の初診時に原告奈保子を診察したところによれば、子宮の大きさは手拳大であり、最終月経日の問診結果に基づいて計算すると妊娠四か月目に入つていることになるのに、右臨床所見では三か月に入つたばかりの状態であると考えられ、その後の診察時においても、同原告の胎児の成育度は、最終月経日の問診結果に基づいて計算した妊娠月数における通常の胎児の成育度より約一か月ずつ遅れていた。

そして何ら出産の徴候が認められないまま、計算上の出産予定日である昭和四六年六月二日を経過した後、同月九日にようやく児頭下降の傾向があらわれ、同月一六日には児頭が骨盤に陥入し、同月二二日には子宮が短縮するなど序々に出産間近の徴候が出揃ってきたが、同月二四日のオキシトシンテスト(出産が数日以内に迫っているか否かを知るための検査)では何ら反応が認められず、これら一連の経過からみて、同原告の出産予定日は同年七月初めであると推定された。しかし同原告には出産の経験がなく、最終月経日を基準として計算した出産予定日を二〇日経過していることから、不安の色が顕著に認められたので、新野医師は前記臨床所見に基づく胎児の成育度、妊婦の心理状態等を考慮して、人工陣痛促進法を試みることとし、同年六月二五日同原告を被告病院に入院させた。

4  原告奈保子は入院当日午前一一時五〇分予備室に入室し、メトロイリーゼ(ゴム製器具の挿入により子宮頸管を開かせる処置)及びアトニン(子宮収縮剤)の点滴を受けたところ、子宮の緊満と腰痛が起こりはじめたが、陣痛間隔が長いたため、午後一一時三〇分一旦病室に戻された。

5  同月二六日午前九時大橋正典医師が診察したところ、子宮口が二指開大し(二指開大とは、子宮口の開き具合を指の幅で表示したもので、五指開大が全開の状態である)、児頭もスライシヨン−2(スライシヨンとは、坐骨線を結んだところをゼロとし、これより上をマイナス、これより下をプラスとして、児頭の下降度を表示する単位である)まだ下降していたため、原告奈保子は午前九時一五分予備室に入室し、午前九時五〇分ころ岩崎医師によりアトニンの点滴を受けた。これによつて、間もなく弱い陣痛が四分間隔で約四〇分持続するようになり、さらにその後陣痛間隔が三分に短縮されたが、午後二時ころには再び陣痛間隔が五分以上となり、陣痛持続時間も二〇秒程度となつた。そこで助産婦の犬飼登久子は同日午後五時五五分ブスコパン(子宮の痙攣をとり、分娩を促進させる薬剤)を注射し、次いで伊藤医師は午後六時一〇分、子宮口が二指開大し、児頭もスライシヨン−2まで下降し、同月二五児に撮影したレントゲン写真によつても児頭と骨盤の不均衡は認められず、抗生物質の投与により細菌感染の危険もないことを確認したうえ、人工破膜(外子宮口より鉗子等を挿入し、卵膜下端部表面を擦過して破膜し、前羊水を流出させ、児頭を子宮下部に密着させることによつて神経を刺激し、陣痛を促進させる処置)を実施し、午後六時五五分と七時五五分にブスコプンを注射した。その結果同日午後七時一五分には子宮口が三指開大し、児頭もスライシヨン−1ないし0まで下降し、午後一〇時五分には子宮口が三指半開大し、陣痛間隔も約三分間に短縮したが、それ以上の進展がみられないので、翌二七日八時四〇分同原告は病室に戻され、同日いつぱい休養をとつた。なお羊水の流出は遅くとも二七日午前三時四〇分までに完全に止まり、胎児の心音には何ら異常は認められなかつた。

6  同月二八日朝新野医師は、原告奈保子に自然の陣痛が起こりはじめているとの報告を受け、同日午前九時同原告を予備室に入室させた。そして午前九時三〇分よりアトニンを点滴したところ、午前一〇時二三分には子宮口が四指開大したので、同医師はさらにブスコパンを注射した。その結果午前一一時四〇分には子宮口が四指半開大し、児頭もスライシヨン1ないし2まで下降してきた。さらに午後二時五〇分には子宮口が全開し、二時五二分児頭が排臨した。

7  原告奈保子は同日午後三時一四分分娩室に入室し、当日の病棟担当医である岩崎医師、研修医である吉山正孝医師、助産婦である新間治子及び犬飼登久子の介助のもとで分娩することとなつた。胎児の心搏数の測定は助産婦が担当したが、午後三時三〇分ころの測定時には五秒間に一二(一分間に約一四〇)であつたものが、午後三時三八分(分娩の七分前)には五秒間に九ないし一〇と減少してきたので、犬飼登久子は直ちに右心搏数を岩崎医師に報告した。(なお証人犬飼登久子は、さらにその一、二分後に新間治子が心搏数を測定した旨供述しているが、証人新間治子の供述では右の点が必しも明らかではなく、結局午後三時三八分以後の心搏数の測定については、これが実施されたことを認めるに足りる証拠はないものというほかない。)そのうち大橋医師も右分娩の介助に加わり、午後三時四二分側切開がなされ、三時四三分児頭が発露し、三時四五分吸引器を使用して(陰圧六〇ミリメートルで三〇秒間使用)、胎児が娩出された。

8  新生児は血色が良く、一見正常であるかに見えたが、呼吸が停止していたため、岩崎医師は直ちに気管支カテーテルで羊水を吸出し、心臓マツサージ、酸素投与等の措置をとつた。一、二分後に小児科の澤江尊子医師もかけつけ、強制呼吸、アドレナリン、ジユーソミンの心臓内注入等の措置がとられたが、胎児は遂に蘇生しなかつた。右胎児は体重四、一三五グラム、身長55.4センチメートルであり、奇形その他の機能的異常はなく、胆盤には老化現象等の著変は認められなかつたが、その臍帯は八七センチメートルと通常よりかなり長く、これがこめかみ付近にかかつて生まれてきたものであり、解剖の結果胎児の両肺内には多量の羊水が吸込まれていることが判明した。

このように認められ、証人伊藤博之の証言及び原告奈保子の本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分はたやすく措信し難く、他にこれを覆すに足りる的確な証拠はない。

右認定事実に基づいて本件胎児死亡の原因について考えるのに、右8認定の事実によれば、児頭のこめかみ付近まで下降してきた臍帯が分娩時に児頭と産道との間で圧迫されたため、胎児が産道内で独立呼吸を始め、両肺内に多量の羊水を吸込んで窒息死したものと推認される。

三次に、右胎児の死亡に対する被告の責任について判断する。

(一)  まず原告らは、伊藤医師のなした人工破膜の処置が適切さを欠いていたと主張する。

そこで考えるのに、<証拠>を総合すれば、人工破膜をなすためには、(1)胎児が十分成熟していること、(2)子宮頸管が成熟徴候を示していること(すなわち、子宮口が二指以上開大していること)、(3)児頭が骨盤に固定または下降していること、(4)児頭と骨盤の不均衡が存在しないこと、以上の各要件が満たされていることが必要であると認められる。

そこで本件について、右各要件充足の有無について考えるのに、前記二、3及び8認定の事実によれば、本件胎児は人工破膜された時点において、臨床上一〇か月末の状態にあり、娩出可能な程度に成熟していたことが認められ、前記二、5認定の事実によれば、右人工破膜の時点において、子宮口は二指開大し、児頭はスライシヨン−2まで下降して骨盤内に固定していたことが認められる。従つて、右人工破膜がなされた時点において、右(1)ないし(3)の要件が満たされていたことは明らかである。

ところで、右(4)の要件に関し、前顕甲第三号証(米国スタンフオード医科大学ハンス・シー・ヘツスレイン助教授代理の鑑定意見書)のうちには、人工破膜後の陣痛促進法で一四時間以内に分娩がない場合には、児頭と骨盤の不均衡(OPD)の存在が推測されるとの記載部分があり、前記二、5認定の事実によれば、原告奈保子において人工破膜後一四時間以内に分娩がなかつたことは明らかである。従つて、右意見によれば(右意見の当否についての検討はしばらく措く)、児頭と骨盤の不均衡が存在していたのではないかとの疑問が生ずる。しかし前記二、5認定の事実によれば、右人工破膜がなされるまでに児頭はスライシヨン−2まで下降して、骨盤内に固定していたこと、人工破膜のなされる一日前に撮影されたレントゲン写真では、児頭と骨盤の状態について特段の異常を見出せなかつたことが認められるので、右人工破膜をなすにあたり、伊藤医師が児頭と骨盤の不均衡が存在しないものと判断したことは一応是認することができ、さらに前記二、5及び7認定の事実によれば、人工破膜後一〇時間以内に羊水の流出は完全に止まり、その後分娩の直前まで胎児の心音には何ら異常がなかつたこと、本件については経腟分娩の方法がとられたが、娩出を補助するため吸引器が用いられたほかは、胎児の娩出過程において特に異常はなかつたことが認められるので、結果的にみても、本件においては児頭と骨盤との不均衡は存在しなかつたものといわざるをえない。

してみると、本件人工破膜がなされるについては、これに必要な前記(1)ないし(4)の要件がすべて充足されていたものというべきであるから、右人工破膜の処置が適切さを欠くものであるとする原告らの主張は理由がない。

(二)  次に原告らは、原告奈保子の分娩を担当した医師が適時に帝王切開をなさなかつたと主張するので、判断する。

1  出産予定日について。

前記二、1及び7認定の事実によれば、原告奈保子は最終月経日の問診結果に基づいて計算した出産予定日より二六日遅れて出産したことが認められる。ところで、<証拠>を総合すると、最終月経日を基準として計算した出産予定日は、その算定基準を妊婦の問診に依拠するので、正確さを欠く場合があること、胎児の成育度には個体差があるため、正確な出産予定日は各人によつて異なり、個々の妊婦につき他覚的所見を総合して判断するほかないこと、原告奈保子の妊娠三か月前後からの継続的臨床所見によれば、本件胎児の成長は、最終月経日を基準として算出した妊娠月数における通常の胎児の成長より約一か月ずつ遅れていたこと、分娩後の検査結果によれば、本件胎児には過熟所見はなく、胎盤にも著しい老化現象はなかつたことが認められ、右認定事実によれば、本件胎児の正確な出産予定日は、最終月経日の問診結果に基づいて計算した出産予定日より約一か月遅い昭和四六年七月初めであつたと認められる。

してみると、本件は右予定日前一週間以内の出産であるというべきであるから、本件が予定日を大巾に遅れた出産であつて、その前に帝王切開の措置を講ずべきものであつたとする原告らの主張は、理由がない。

2  分娩の遷延について。

前記二、4ないし7認定の事実によれば、原告奈保子は被告病院に入院した後種々の分娩誘発術を受けたが、容易に陣痛が強まらず、最初の分娩誘発術の施術後約七六時間を経てようやく出産に至つたものであり、人工破膜の処置がなされた時を基準としても、分娩までに約四五時間を要しており、その分娩が通常の場合に比してかなり遷延していたことは明らかである。

しかし、前記二、3ないし7認定の事実によれば、同原告は初産婦であり、自然の陣痛が到来する以前に人工的に陣痛を促進したものであること、被告病院の医師は人工破膜をなした後、陣痛促進剤を注射するなどして陣痛の促進をはかつたが、一〇時間余り経過しても出産に至らないため、一時産婦を休養させることとし、ほぼ二四時間休養をとらせたこと、その後改めて陣痛促進が開始され、約六時間後に子宮口が全開し、児頭が排臨したこと、その約一時間後に胎児が娩出されたことが認められる。そしてこのほかに、児頭と骨盤の不均衡が存在するなど、経腟分娩の継続を著しく困難とする特段の事情の認められない本件においては、同原告の出産が右の程度に遷延状態にあつたとしても、同原告の出産を担当した医師が経腟分娩を続行した点に過失があるものということはできない。

3  胎児の心搏数について。

前記二、7認定の事実によれば、本件胎児の心搏数は出産の約一五分前、五秒間に一二であつたものが、七分前には九ないし一〇に減少してきたことが認められる。

ところで前記二、6及び7認定の事実に、<証拠>を総合すれば、出産七分前における本件胎児の右心搏数は通常の胎児の心搏数(五秒間に一一ないし一三)よりいくぶん少ないが、分娩直前に胎児の心搏数が減少することは稀ではなく、右の程度の減少は特に異常とはいえないこと、児頭発露の段階になれば吸引器を用いるなどして、迅速に胎児を娩出しうるが、右心搏数の減少は、児頭排臨後四〇分余り経過し、児頭発露が間近に迫つた時点で起こつたものであること、結果的には右心搏数減少の五分後に児頭が発露し、これより二分後に吸引器を用いて胎児が娩出されたことを認めることができる。してみると、分娩の七分前に胎児の心搏数が右のとおり減少したとしても、このことから直ちに分娩の担当医にその時点において帝王切開をなすべきものと断ずることはできない。

もつとも、前顕甲第三号証のうちには、分娩中胎児の心搏数の減少が続いたときは、迅速に胎児を産道より娩出させるか、児頭を押上げて早急に帝王切開を行うべきであり、このようにすれば、胎児の生命を救うことができたと思われる旨の見解を記載した部分がある。しかし右見解は、出産当日午後三時一五分から出産時である午後三時四五分まで三〇分間、吸引力マイナス六〇ミリメートルで吸引器が使用され、その間午後三時二五分から出産時まで二〇分間胎児の心搏数が測定されなかつたことを前提とするものであるところ、前記二、7認定の事実によれば、吸引器が使用されたのは分娩前吸引力マイナス六〇ミリメートルで三〇秒間であつて、それ以上に吸引器が使用されたことを認めるに足りる証拠はなく、また右二、7認定の事実によれば、本件においては出産の七分前まで心搏数が測定されていたことが認められる。従つて、右見解はその前提とするところに誤りがあるので、採用の限りではない。

4  臍帯の下降について。

前記二、8認定の事実によれば、本件においては娩出の直前に臍帯が児頭のこめかみ付近まで下降しており、これが児頭と産道との間で圧迫されたことによつて胎児が死亡したものと推認されるので、右臍帯の下降を娩出前に予見することができれば、児頭が産道内に下降する以前に、帝王切開の措置をとることによつて、胎児の死亡を防ぐことができたものと考えられる。

しかし<証拠>によれば、臍帯が児頭の先進部より先に出ていない状態で、胎児が産道を下降してくる場合には、仮りに臍帯にこめかみ付近まで下降していたとしても、これを娩出前に予見することは不可能であることが認められる。従つて、原告奈保子の出産を担当した医師が右臍帯の下降に対して帝王切開の方法をとらず、経腟分娩を続行したとしても、右医師に過失があるということはできない。

そしてこのほかに右医師に対し、帝王切開をなすべきであつたとする事情を認めるべき的確な証拠はない。

(三)  次に原告らは、主治医である新野医師は自ら原告奈保子の分娩に立会うか、それが不可能なときは、分娩の担当医に従前の経過を十分伝え、随時帝王切開に切換えるよう指示すべき注意義務があるのに、これを怠つたと主張する。しかし右主張は、分娩担当医に帝王切開をなさなかつた過失があることを前提とするものであるところ、右前提事実の認め難いことは前記のとおりであるから、この主張は証拠の判断を用いるまでもなく理由がない。

(四)  次に原告らは、被告病院の医師が仮死状態で生まれた胎児に対し、適切な蘇生術をなさなかつたと主張する。

そこで考えるのに、前記二、8認定の事実によれば、岩崎医師は本件胎児の娩出後、直ちに気管支カテーテルで羊水を吸出し、心臓マツサージ、酸素投与等の措置をとり、さらに一、二分後澤江医師も加わり、強制呼吸、アドレナリン、ジユーソミンの心臓内注入等の措置をとつたことが認められるところ、前記二認定の本件胎児の死亡原因に照らせば、右措置は蘇生の手段として適切なものと一応評価しうるものであつたというべきである。そしてこのほかに、右蘇生術では不十分であり、あるいは不適切であつたことを認むべき的確な証拠はない。従つて、右主張は理由がない。

(五)  また原告らは、被告病院の看護体制の不備も本件胎児死亡の一因であると主張するが、本件においては被告病院の看護体制の不備が本件胎児の死亡の原因であることを肯認するに足りる的確な証拠はないから、この主張も理由がない。

(六)  そしてこのほかに、本件胎児の死亡について、被告病院の医師及びその補助者に過失があつたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

以上に認定判断したとおりであつてみれば、本件胎児の死亡について被告において過失の責を負うべきものということはできないから、これあることを前提とする原告らの本訴請求は更に立入つて判断するまでもなく理由がない。

四よつて、原告らの請求を棄却し、訴訟費用は敗訴の原告らの負担として、主文のとおり判決する。

(川上泉 海保寛 園尾隆司)

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